ばたんと音を立て、ドアが閉まった。
安いモーテルの薄っぺらい扉の向こうで、いかついブーツが廊下の床板を軋ませる音さえウキウキと軽い足取りで、男の気配が遠のく。
抱きもしなかった女の元から去って行くのには、あまりに楽しそうな様子に、女のプライドとかそんなものはどうでもよくなってしまう。
「あ~ぁ、馬鹿みたいだわ、私。」
遥か昔の口約束を律儀に守るんじゃなかったと、自分一人しか居なくなった部屋で深く溜息をつく。
いつもの手遊び癖で、髪先を摘もうとして、数日前に短く切った髪には指に絡む程の長さが無いことに気が付き、再び溜息が唇から漏れた。

 あの少年に出会ったのは、十数年も前の事で、良く覚えていない。
その頃、火星の廃れた街の路地裏で、安い金で男と寝る娼婦の真似事をしていた。
年端も行かない子供が、たった一人で生きて行くには、犯罪に手を染めるか、体を売るくらいしかない。
いい客が見つからず、今日はもう店じまいしようかと思っていた矢先、大通りから小柄なシルエットがこちらへと近づいて来くる。
こんな薄暗い路地へ来るのは安い娼婦を求める客だけで、最初はこの辺りを知らない不慣れな観光客が迷い込んで来たのかと思い、大して気にも留めなかった。
しかし、その自分と大差ない背格好の物珍しい人影は、迷う事なく奥へと進み、ふと目の前で歩みを止めた。
こんな少年でも、女を買いに来る事もあるのかと驚いて顔を上げれば、場所にそぐわない小奇麗な少年が、こちらを見下ろしていた。
娼婦になったら、すぐさま売れっ子になりそうなほど整った顔を、ダークブラウンの髪が重たく隠してはいるが、どうやら東洋系らしい。
ふわりと揺れた前髪の間から覗いた、紺青の瞳に目を見張る。
その顔は、いつも鏡で見慣れた自分の顔にとても良く似ていて、驚きの余り、まじまじと少年を眺めた。
相手の少年も、無遠慮にも真っ直ぐな瞳がこちらを捕らえたまま、ジッと視線を動かさない。
まるで、もう一人の自分に見詰められているようで、どうにも不思議な感じがする。
頭からつま先まで、まるで何かを選別するかのような視線が上下に動いた後、その少年は口を開いた。
「火星生まれか?」
あまりに不躾な質問だったけど、自分と似た顔を持つ少年の意図が気になり、素直に答える。
「いいえ、違う。」
「そうか・・・」
少年は、何かに納得したように頷いて、一枚の写真を差出した。
「もし、この男と出会ったら、その時の様子を教えて欲しい」
「はぁ?!」
思わず、驚嘆の声が漏れた。
「そんなの、プロの探偵か何かに頼めばいいじゃない」
人探しなら、もっと適任がいるだろうに、何故に自分に頼むのか判らず、お話にならない。
踵を返そうとしたところで、少年は小さな端末を取り出す。
手早く操作すると、その画面をこちらに向けた。
そこには、見たことも無いような額が表示されていて、0の多さに直ぐには幾らなのか判らなかった位だった。
「成功の場合の報酬だ。」
たかが人探しに提示するような金額ではなかった。
いい所のお坊ちゃまか何かなのか、金銭感覚がおかし過ぎる。
日銭を稼ぐのがやっとの生活を送る身には、その金額は魅力的以外の何者でもない。
しかし、高額な報酬を提示されるという事は、もしかして、とんでもない事をしなくてはいけないのではないかと疑念が頭を過ぎる。
「そんなお金を払うって事は、なにかヤバい事でもしろってことなの?」
「写真の男に出会ったら、そいつと接触して、その男の現状を指定する連絡先にメールをよこせ。俺は、直ぐにそのメールを読むことは出来ないかもしれないが、メールが届いた時点で自動的にこの金額がお前の物になる。」
「それだけ?」
「あぁ。但し、この男が火星に来るには何時になるか、何処の街に姿を現すかも判らない。」
そんな状況で、頼み事をするなんて、馬鹿じゃないのかと思いつつ、少年の顔を訝しげに眺めてみても、表情一つ変えない顔からは何も読み取れなかった。
どうしようかと、長い髪先を摘みながら、暫く無言で考え込む。
自分が写真の男に会えるか機会があるのか判らない上、少年の見せた金額が、本当に貰えるのかさえも信じがたかった。
しかし、その男に出会うチャンスが無かったとしても、頃合を見計らって、適当なメールを送れさえすれば、あのお金が自分の物になる可能性があるかもしれないのだ。
そんなオイシイ話を無碍にするのも勿体ない。
思い切って首を縦に振った。
「いいわ。あんたの頼み事を聞いてあげる。」
「判った。」
そう言うと、少年は紙を差し出す。
受け取ったメモには、几帳面そうな字で連絡先のメールアドレスが書かれていた。
それを、今は亡き両親との、数少ない思い出の写真を挟んだ手帳にしまう。
「で、その写真の人の名前は?」
「名前なんて宛てにならない。別の名を名乗っているかもしれないからな。」
「その写真はくれないの?」
「こいつが火星に来るのは何時になるか判らないから、その頃には、この写真とは変わってるだろうし、参考にはならない。」
「じゃあ、背格好は?」
「今は、俺と似たようなものだが、背なんて直ぐ伸びる。」
「何やってる人なの?」
「判らないが、まともな職業ではないだろう。」
「この街に来るの?」
「判らない。」
どんなに質問をしても、人を探すには情報としては物足りない答えばかりで、そんなんじゃ、探しようもないと、呆れ気味に溜息をついた。
「そいつ、ホントにこの星に来るわけ?」
「あぁ。」
曖昧な内容の返答しか返さなかった少年は、写真の相手が火星に来る事は確信しているらしく、真っ直ぐな視線には、何故か説得力があった。
「あなたは、私がその写真の男の人と会えると思ってるの?」
「確証はない。」
「なんで私なんかに、そんな事頼むの?」
「さっきから質問ばかりだな。」
「当たり前じゃない。人探しを頼むんだから、それなりの情報がなきゃ、探しようがないわ」
少年は、僅かに肩を竦めると、諦めたように口を開いた。
「さっき、街中で何度も知らない男達に声を掛けられた。お前と間違えたらしい。」
街で声を掛けてきたのは、何度か相手をした客の男達の内の誰かだろう。
「お前が俺に似ているから、この依頼を頼んだ。他の奴が間違えるお前なら、あいつと会えば接触できる可能性が高い。」
少年の持つ写真に、再び視線を落とした。
写真の中には、大人になったらさぞかしイイ男になりそうな整った顔つきの長い三つ編みが特徴的な未だ少年ぽさの残る姿が、全身黒尽くめの服を着て、楽しそうに笑っている。
大まかな特徴だけ覚えて、顔を上げる。
それを、了解の合図にしたかのように、少年はくるりと背を向け歩き出した。
「ねぇ、その人、あんたの何?」
最後に投げた問いかけに、一瞬足を止めた少年は、ちらりと後ろを振り向く。
何も言わず、プルシアンブルーの瞳を細め、薄い唇に小さく笑みを浮かべて見せただけで、自分と同じ瞳の色の少年は、薄暗い路地から姿を消した。

 それから、いったいどれくらいの年月が経ったのだろう。
忙しなく過ぎて行く日常に、いつしかあの少年との約束はすっかり記憶の奥底に追いやられてしまっていた。
忘れてた約束を思い出したのは、たまたま偶然に立ち寄った酒場で、遅い夕飯にありついた時だった、
ふらりと現れた、この辺りでは見かけない長身の男の姿に、思わず目を瞠った。
長い脚を邪魔そうに投げ出しながら、カウンターの椅子座った男は、荒んだなりをしているものの、随分と昔、路地裏で会った少年が見せた写真の子の面影を残している。
その背には、あの特徴的な三つ編みは既に無かったが、青い目と赤味がかった茶色の髪、黒尽くめの服装は今も変わらない。
一度見ただけの写真で良く覚えていたものだと、自分に驚く。
ふと、傍のテーブルに座っていた女達が、潜めた声で噂話を始めた。
 『見て見て。あのカウンターに座ってる人。』
 『誰?』
 『最近、この店に来るようになった賞金稼ぎらしわ。』
 『あら、イイ男じゃない。』
 『この前、友達が声掛けみたらしいんだけど、お酒を奢ってくれたら寝てもいいって言われたんだって。』
 『ホントに?』
 『あんなイイ男と寝れるなら、宿代まで出したって安い位よ』
 『そうよねー』
小さく笑った女達の内の一人が、席を立つ。
酒を傾ける男の横に行くと、何やら耳元で囁いてる。
暫らくして、女が店員に金を払うと、男は、しな垂れかかる女の肩を抱いて、店を出て行った。
 『あ~。あの子、上手い事やったわね。』
 『羨ましい。』
残された女達は、仲間の女とあの男が消えた店の扉へと、羨望の眼差しを向けている。
急いで、古ぼけてた手帳を開く。
忘れ去れっていたメールアドレスを探すと、捩れたメモが写真に混ざっていた。
ほっと、安堵の息を漏らし、出された食事もそこそこに、すぐさま酒場を後にする。
部屋へ戻ると、鋏を取り出した。
洗面台へ立ち、躊躇う事なく、長い髪を切り落とす。
いつか出会った少年のように、重たい前髪を残し、無造作に後髪を整えていく。
床一面に、ブルネットの髪が散らばった頃、鏡の中には、あの路地裏で出会った少年に似た顔があった。

 数日後、男は再び酒場に姿を現した。
フロアの片隅で、定位置らしいカウンターのスツールに腰をかけた男を目だけで追う。
すっかり有名人になっているらしく、周囲の男達はやっかみを、女達は噂話を小声で囁きあっている。
と、男が、くるりとフロアに顔を向けた。
女好きする顔で笑うと、さっきまで噂を口にしていた女達が、一斉に艶を含んだ眼差しを投げた。
けれど自分は、あの時の少年を思い出し、強く真っ直ぐな瞳で男を見据える。
視線がこちらを捕らえた瞬間、男の顔は驚きの表情を見せ、小さく呟いた後、何かを振り払うように首を振った。
男は、スツールから立ち上がり、緩い足取りで歩み寄って来る。
「オレに興味ある?」
「・・・少しは。」
目の前に立ち、低い声で話し掛けてきた男に、記憶の中の少年の口調をなぞって答える。
「じゃぁ、その興味がもっと沸くように、オレと一晩を一緒に過ごしてみるのはどう?」
そう言って笑う男からの誘いに、あの少年ならどう答えるだろうと、しばらく思考を巡らせる。
「・・・悪くは無い提案だ。」
突き放したような口調で返しながら頷くと、椅子を引いて立ち上がった。
カウンターに金を置き、伸ばされた腕を払いながら、運良く空いていた酒場近くのモーテルの一室を取る。
部屋に入るなりコートを床へ投げた男は、ベッドに腰を掛けると、迷わずにTシャツを脱ぎ捨てた。
露になった上半身は、荒れた外見とは違い、無駄な脂肪のない引き締まった体付きをしていて、思わず息を飲んだ。
こういう事に場慣れしているらしく、僅かな会話を交わしただけの自分に、躊躇う事なく手を差し出し、低く囁く。
「ほら・・・来いよ。」
あの日、唐突に声を掛けて来た少年に頼まれたというだけではなく、他の女に目もくれず、少年に似せた外見の自分に声を掛けた男に興味が沸いた。
頼まれたのは、接触して報告する事だったはずなのに、少年が大金を提示してまで知りたがるこのイイ男と寝てみたいと思った。
ゆるゆると、男へと歩み寄る。
逞しい腕に抱かれて間もなく、男の携帯電話が鳴った。
身を離して、フリップを開けた横顔がニヤリと笑う。
余りに楽しそうなその笑みで、この男には何にも替え難い物がある事を知る。
女の直感は、それが、あの少年がらみである事が判ってしまった。
「お前、最低だな。」
「それはどーも。」
男は、投げた嫌味の言葉に、笑ってみせる。
何も言わずに、乱れた服を直し部屋を出ようとした自分を制して、男が部屋を出て行く。
一旦、扉の前まで歩みを進めた男が、何を思ったか、こちらへと戻るのを背を向けて無視していると、柔らかな手つきで肩を抱かれた。
「イイ女抱けなくて、残念だった。」
そういい残して再び部屋を出ようとした男に、どうしても言って置きたい事を思いつき、振り向かずに口を開く。
「奥さんと子供によろしく。」
「さんきゅ」
背中の向こうで、幸せそうに男が笑った気配がした。

男が去ると、自分の携帯端末を取り出し、指定されていた先へメールを書く。

依頼されていた男との接触に成功。
ターゲットは、根無し草の賞金稼ぎでイカサマ師で、来る者拒まずの女たらしのヒモ状態で、ロクでもない奴だった。

あの少年と再会した時に、一発殴られればいい。
そうすれば、こっちもすっきりすると思いながら、送信ボタンを押す。
その後、同じメールアドレスに、もう一通のメールを送る。

けど・・・

あんたの男は、イイオトコだった。

■あとがき(別名:言い訳)■

FTのファザーデュオがとってもログデナシ(イイ意味でww)だったので、衝動的に書いてみた。